History飯田水引300年の歴史と
田中宗吉商店140年の歴史
水引の起源
水引の起源は古く、飛鳥時代。遣随使の小野妹子が帰国したとき、随からの贈り物に「航海の無事平穏」の祈りを込めた紅白の麻紐が結ばれていて、これが日本の水引のルーツという説があります。その後、日本において宮中への献上品は紅白の麻で結ぶ慣例が生まれ、平安時代には「水引」と呼ばれるようになったそうです。
その意味で伝来当時から、水引には贈物と一緒に相手の幸せを祈るという意味があったようです。
約300年前の
江戸時代、
和紙産地飯田の
元結づくりが始まり
南アルプスと中央アルプスに抱かれた、南信州の飯田市。アルプスからの清流と肥沃な大地が和紙の原料となるコウゾやミツマタなどが生育することから、飯田は和紙の製造が盛んで、江戸時代に普及した元結(※)を当時の藩主が和紙を活用して作らせたのが始まりだったそうです。
※元結:大相撲力士の髪の根元を結い束ねる紐としておなじみ。
江戸時代から
明治へ
江戸時代に発達した紙紐(かみひも)の元結が原型の現在の水引ですが、明治期に入り断髪令が発令され、元結の需要が特殊な場合を除きなくなりますが、祝儀袋や金封、正月飾りなどを晴れやかに演出する伝統装飾品として水引の伝統は南信州・飯田を中心に守られてきました。
そんな明治期に誕生したのが、
1877年(明治10年)創業の
「田中宗吉商店」です。
成長期
紐づくり自体が手作業で行われていた明治・大正時代。現社長の祖父・二代目が屋外の作業所で、天日乾燥させる方法を開発。この田中式(※)によって、大幅に作業効率が向上、飯田全体の水引製造は飛躍的に成長を遂げました。
※1916年(大正15年)2月3日「田中式水引製造法」特許取得
祝いのシーンを中心にした発展期
昭和の時代に入り、三代目の時代には、松竹梅、鶴といった縁起物のモチーフの細かく華やかな細工を次々と開発、高度経済成長期に入ると結納品として全国に水引が広がっていきました。
低迷期
バブル崩壊や1995年(平成7年)阪神淡路大震災、そして生活習慣の変化などの影響で、派手な婚礼の自粛ムードと伝統的な婚礼スタイル自体の減少によって、結納品の需要が小さくなる平成期。オーナメントや正月飾りにシフトしながら水引文化を守る時期が続きます。
転換期
日本文化を代表する工芸品として1998年の長野オリンピックの公式記念品(日本からのおみやげ)として飯田の水引が採用され(田中宗吉商店が6点すべての商品を担当)、また、2009年には全日空の欧米路線のファーストクラスの箸置きやストラップを飯田水引組合が受注するなど、現在、海外への文化の発信にも期待が広がっています。
また、今日ハンドメイド嗜好が高まる中、美しい水引を使った自由な発想の工芸品やクラフト作品が人気を集めています。